神の僕なれば、思慮せよ

若輩者の月記です。

貴方は数を感じられるか?

初回記事に月記などど書きましたが既に挫折()

やはり文章を書くことは難しいですね。さらにブログとして公表するのでハードルが高いです。思ったことを簡潔に正確に早く書き上げる能力があればいいのに...

 

・本題

今月所用で丸善に訪れた際、「巨大数」というなかなか興味深い本を見つけました。

巨大数 (岩波科学ライブラリー) | 鈴木 真治 |本 | 通販 | Amazon

小学校のころ興味があって調べた方なら数学が嫌いでも「無量大数」という単位はご存じかと思いますが、その上には仏教用語の「不可説不可説転」という単位やGoogle社の名の由来となったgoogolという数など、他にも途方も及ばない数が山ほどあるそうです。

その本の冒頭に「今や巨大数は身の周りに溢れているのです」の文。そこで疑問に思ったのですが、私たちは身の周りに溢れる巨大数を、あるいは数を、"感じる"ことはできているのでしょうか?

高校生のぼくにとって、一番身近な巨大数といえばアボガドロ定数(6.0×10^23)です。例えば、目の前のコップの中の18gの水は6.0×10^23個の水分子で構成されていることを想像すると、めちゃくちゃに多いな、と感じますよね。

 

本当ですか?

別の何かで考えてみましょう。そろそろ夏ですから、ビーチの砂なんかどうですかね。砂は地質学上で直径が2mmから1/16mmの粒子ですので、すべて最小の大きさとして考えても、1molを直線にならべれば3.75×10^19mです。太陽と地球間の距離が1.496×10^11mなので、2500万往復させてもおつりが来る計算になります。

うーん、これで理解しろと言うのも無理な話ですが...とにかく、「あれ、思ってたより6.0×10^19って大きいな」と思ったのでは無いでしょうか?

当たり前ですが、水分子と一粒の砂で1molを考えると、その大きさがどれくらいかという"感じ"はかなり変わるのです。

ここではアボガドロ定数という極端に大きな数を使って数の"感じ取り方"の不正確さを説明しましたが、数というものは特に小さいものを除いて常に、それ自体より大きく、時には小さく、誤って捉えられているとぼくは思います。

もっと広く身近な数は、きっと貴方のお財布にも入っているであろうお札の1000や5000といった数でしょうか。これにも、同じことが言えます。1000円という金額に金銭的な評価を下すことは誰しもする行為ですが、そうですね、じゃあ1000円札を全て一円玉に変えてみましょう。手のひらから零れ落ちましたよね?これが1000の大きさです。

お金で言えば、会計の際同じ硬貨を20枚以上出された場合、店員は受け取りを拒める、という法律があるらしいですね。これなんてまさに「20以上は大きいよぅ」という人間の訴えとは思えませんか?

 

また、やはり数を感じ取りやすいのは、メートルやグラムより、個や回といった単位のときでしょう。

高3のぼくは、つい最近人生最後の20mシャトルラン(知らない人はググって下さい。地獄のような競技?です)を終えました。人生最後であってくれ...。記録の公表は控えますが、部活を引退した影響は大きく去年の記録-20という惨劇になりましたね...。まぁ僕の記録はさておき、20mシャトルランは数を体感できる最高の機会だと思えます。今のぼくは、100は相当大きな数だと断言できます。

 

・終わりに

言いたいことは何となく伝わったでしょうか?

巨大数を数として"感じる"のは不可能に近い所業のようです。数学好きの友人が「素数を感じろ」なんて言っていますが、2^74207281-1という余りにも巨大な数を感じるには、ぼくはまだまだ修行が足りませんね(笑)